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シニア市場のセグメント

シニアを個人の年齢で定義するのは普通のことである。
ところが、子供(18歳くらいまで)を年齢で定義するのとは大いに違ってくる。
幼稚園、小学校、中学校、高校までくらいは年齢の刻みと属性がほぼ一致しているだろう。
ところがシニアは年齢だけでは刻めない。
同じ年齢でも属性が極端に分散する。
大金持ちの子供も貧乏人の子供も小学生であれば、私立と公立の違いくらいでそれほど大きな差はない。
大金持ちだけが東大に行ける、という風にはまだ、日本の社会はなっていない。
一方、50歳以上になるとその属性は天と地ほどバラつきがある。
それをひとくくりにシニアとしたり、年齢でセグメントしてもマーケティング上は有効なセグメントにならない。
最もいろいろ考えてみたが、適当な軸が見つからないので年齢で。と言うことなのかもしれない。

そうなら、以下は無駄なことかもしれないがシニア市場のセグメント軸を考えてみる。(年齢で50歳以上とする。この50歳という数字の根拠は考えない)
① 男女(年齢区分)
② 婚姻の経験と現在の婚姻関係(今まで、独り身できているか)
③ 子供をもうけたか、育てたか
④ 現在の同居者(子供は独立したか、夫婦で健在か)
⑤ 住居形態(所有・賃貸、負債の有無)
⑥ 就業状況(現役、定年、再雇用、自営、無職)
⑦ 年収・年金(フロー)と資産(ストック)
⑧ 持病と治療(入院、要介護)
⑨ 外出頻度と外出先
まだ、あると思うが、これくらいが基本的な軸ではないだろうか。

これに心理特性、消費特性を追加していけば、それぞれのシニア市場がコーホートを含めてプロファイリングできるだろう。
これらのセグメントごとの市場規模を大枠つかんでからでないとシニア市場開拓は幽霊を掴もうとすることに近くなる。
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シニアが求めるモノ

シニアが求めるモノというと健康がまずあげられるかもしれない。
シニア市場を考えると健康を避けて通ることはできない。
タバコはとっくにやめて、酒も控えて、夜更かしもせず、暴飲暴食に気をつけて定期健康診断を欠かさないどころか人間ドックまでやっている。
これでは健康関連の市場か旅行などの気晴らし(健康によい)関連しか考えられない。
ここでヒントを得るためにシニアの健康の意味を考えてみる。
赤ん坊を含めて子供の健康は「成長」のためである。
青・壮年期の健康は「拡大再生産」が目的になる。
では、老年期の健康は何なるか?基本は「延命」かもしれない。
延命は後期高齢者で、シニアは「再生産の維持」だろうが、その先には必ず死への恐怖があるのではないか?

この「死」を正面に見据えたシニアマーケットを考えてみてはどうだろうか。
現在は、特別養護ホームと葬式ビジネスぐらいしか見当たらないし、葬式ビジネスも含めて死は脇に置かれている。
そうではなく、もっと正面に置くのである。
今のところ、新興宗教ぐらいしか思いつかないが「何かある!」と妄想している。

アクティブなシニアって

シニア市場はある意味偏見が満ちている。
そのひとつが「アクティブシニア」というとらえ方である。
まず、この概念はシニアはアクティブではないという偏見から始まる。
加齢はアクティブさを失う方向への圧力と考え、その圧力に長年さらされてきたシニアは当然アクティブさを失う。
自分の周りの年寄を見ても歩く、食べるなどの基本行動のスピードは落ちるし、動作もぎこちない、1日家の中にいてもそれほど退屈そうではないということで「不活発」がシニアの特性と考える。

この偏見を確認しようとシニアマーケットを研究するとバラつきはあるものの若者顔負けの活動量と意欲を示す年寄がたくさんいた。
すでに負債は返却して資産はある、カネ食い虫の子供たちは曲がりなりにも独立・自立しているのでお金持ちである。
そのうえ、年金は結構な金額をもらっている。
検診体制がしっかりしている日本では病気も早いうちに治療して健康にも問題がない。
さらに時間とカネをかけて自分の健康管理をするので元気である。

ということで出てきた新たな偏見が「アクティブシニア」である。
ところが、アクティブシニアを前提に市場を見ると将来に「病気と死」しかないシニアの元気さは見せかけであるとがっかりする。
基本はケチであり、新しいことには手を出さないし、いつまで続くか予測できない自分の老後を考えれば保守的になる。
アクティブなはずの人たちが現状維持しか考えていない。
これではシニア市場はおいしくない。

この2つの偏見の間を行ったり来たりしているのがシニア市場の研究である。
そう、シニア市場は研究ばかりしていて、いっこうに立ち上がらない。
シニア市場の立ち上げは、シニアに自分の将来像を描くことを手助けすることではないか。
子どもや若者が描く自分の将来像とはもちろん違うものであるが、共感できる像を描く手助けである。
現状を維持するためだけに必死に走り続ける人たちに「行ける場所」を提示することだろう。

ま、難しいことだな。

一喜一憂

「そんなに一喜一憂するな。腰がすわってないじゃないか」というような使われ方が多いのだろう。
最終結果は出ていないのに場面場面の状況や途中経過に喜んだり憂いたりすることを戒める表現である。
先が読めない子供や素人は一喜一憂し、経験を積んだ大人や玄人は落ち着いて最終結果を待つ余裕がある。

この一喜一憂を最後が「喜」か「憂」で終わることを結果と考えずに、一喜と一憂をそれぞれ足し上げて最終的にどちらの比率が大きかったかで、幸福度、不幸度を表すと考えたらどうなるだろう。
一喜一憂を積極的に行うのである。
この方が感情の起伏が激しくなるので「興奮状態」が維持できる。
きっと基礎代謝量が大きくエネルギー消費も多くなる。
生活が活性化するのだ。

子どもや素人のように一喜一憂するのは決して悪いことではなさそう。
老成したシニアにこの一喜一憂を持ち込むことが市場開拓のキーかもしれない。

学校も会社もない

シニアマーケットの定義そのものが人によって違う。
・単純に年齢で切る方法
・ライフステージで切るやり方(末子が大学入学・卒業、同居の子供がゼロになった、他)
・経済状況で切るやり方(世帯主が完全退職した、主な収入が年金だけになった)
などが考えられる。
どれも切り口としてエッジが立たず困るのである。
それだけ、ひとくちにシニアといってもセグメントする側、される側の事情が複雑になるのである。

そこで、ふと思いついたのが「ガッコも会社も行かなくなった人」という定義である。
ひきこもりではもちろんないが、「毎日、行くべき場所」がなくなった人というのはどうだろうか。
学校や会社がある世代ならば、行動パターンは比較的単純でビッグデータをを駆使しなくても明日の朝10時にどこにいるかは精度高く予測できる。
それが、シニアになると予測は難しくなるだろう。
老人の生活パターンは個性なく、単純との思い込みがあるが、恐らく相当の多様性があるのではないか。
シニアマーケットを考える時、ステレオタイプは危険である。

行くべき場所だけでなく、いるべき場所もなくなることもあるらしい。
そうなったらマーケットの対象ではなくなる。

プロフィール

aurak

Author:aurak
名前   石井栄造 ・ 男性
仕事   マーケティングリサーチ
住まい  東京都杉並区
http://www.auraebisu.co.jp/

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